僕にとってバブルは暗黒の時代だった。明るくイケメンだった懐かしい友を思い出している。

今の時代はバブルなのか?

街には高級車があふれ、一泊5万もする宿が予約で一杯、ヨーロッパのオリエント急行にも負けない超豪華列車の予約が取れないらしい。

億を超す高層マンションも立地次第ではパンフレットだけで売れていく。

 

こんな風景は昔見たことがある・・・・そうバブルの時代。

 

テレビで見せるバブルのイメージはディスコ(クラブ?)でセンス振りながら踊っている映像ばかり。

バブルを知らない若い世代はこんな映像ばかり見せられて美味しい時代だったんだなぁ~と思うかもしれない。

でも本当は一般庶民にとってバブルは暗黒の時代だった。

あのバブル時代も庶民には関係なかった

バブルと呼ばれた時代に僕は普通のサラリーマンをしていた。

管理職なら高給な料亭での接待や無限に使えるタクシーチケット、簡単な出張報告原稿用紙一枚書くだけで良い海外出張などなどで

バブルの香りぐらいは嗅げたかもしれない。

でも多くの平社員はバブル時代を恨んでいると思う。

マイホームを持つ夢がどんどん遠のいていく、手を伸ばせば届いたはずだがバブルのせいで手の届かない文字通り夢となった時代。

その頃に清水の舞台から飛び降りる覚悟で、マイホームを手に入れた人達はその後地獄を見た。

 

地価が上がる時もすごかったけど、下げに入った時のほうがもっと凄かった。

投げ売り状態でナイアガラ。

時間単位で不動産価格が下がっていく。

高金利で借りた住宅ローン

それは孫の代まで引き継がれていく負の連鎖。

家族離散・夜逃げ・自殺・・・様々な人生をその時僕は身近で見た。

明るくイケメンだった友人の借金を返す長く続く先が見えない道

友人は株で700万もの借金を背負った。

最初は儲かっていて羽振りがよく、NTT株の上場の利益で高級車を購入したりしていた。

でも山が高ければ谷はそれ以上に深いのだろう。

現物だけで売買していたら借金までは作らなかっただろうけど、彼は信用取引で所持金の3倍もの金額を株に投資していた。

利益が借金に変わるのは1週間もかからなかったそうだ。

株を知らない人は最初に売ってしまえば良いのでは?と思うかもしれない。

 

売りたくとも売れない状況になるのがバブル崩壊なのだ

 

毎日ストップ安で売りに出しても買う人がいないので売れない。

そうして借金を作ってしまった人は多くいると思う。

 

そして彼はその借金を返済する為に会社を辞める決心をする。

何故って・・会社は副業を禁じているために会社の給与だけでは借金の返済が出来ないためだ。

会社もバブル崩壊によって大きな打撃をこうむっていた。

会社側が考えた手段は2つ。

資産の売却と人員整理。

全国にあった福利厚生施設は売却され、人員整理の対象になった人間は仕事がきつい生産工場のラインに配置転換になった。

友人もこれを見て、先がないと考えたのだろう。

幸い早期退職すれば僅かな退職金が2割増しになることも背中を押した。

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友人の選んだ人生と僕の人生

中肉小太りの僕と違って友人は身長も高くて男前カッコ良かった。

今の芸能人で言えば手越祐也によく似ていた記憶がある。

それだけはなくてとにかく口が上手かった。

僕が同じ話をしても誰も笑わないが、彼が話すと面白くて最後にオチもあったりして一種の才能だと感じていた。

彼が選んだ道は親戚から紹介してもらったという生命保険会社の営業の仕事、夜はバーテンダーと二足のわらじをはいていた。

ある意味天職だったのかもしれない口が上手くイケメンの彼は営業成績を伸ばし、たった一年で営業所のトップセールスを記録することとなる。

見かけのチャラさと口の上手さに騙されるけど、実は彼は非常に真面目で誠実な男だった。

 

さて僕はと言うと・・

その頃住んでいた神戸須磨のあるマンションを売って、長野県の安曇野に移り住んでいた。

長野県のIターンに応募して就職先も紹介してもらい家族ともども田舎暮らしを始めていた。

でもテレビで紹介されている田舎暮らしはいいとこ取りであって実際はそんなにいいことばかりでは無い。

紹介された会社にも馴染めずにたった2年と少しで病気になり安曇野を去ることとなる。

その後は期間工や新聞配達員、宅配ドライバーなど様々な仕事をしながら住み慣れた土地に帰る決心をしていた。

ちょうどインターネットの普及時期だったことが幸いして、たいした資金もかからずに開店したWEBショップの店主として現在までに至っている。

 

彼の話に戻したいと思う。

職場を離れてから彼とは会う機会はなかったのだけど、虫の知らせだろうか1995年の年末に彼から電話があり帰省したついでに会って話をした。

話はようやく借金が払い終わった事と、結婚が決まったので出席して欲しいとの話だった。

もちろん断る理由もなく、僕も彼の生活は心配していたので久しぶりの良い話に明るい気持ちで正月を迎える事が出来た。

しかしこの後の急激な運命の変化は誰も予想出来なかった・・・・・・

 

 

彼は実家暮らしでそこから生田区にある職場に通っていた。

彼の家は長田区でも少し高い場所にあった。

忘れる事は出来ない1995年(平成7年)1月17日の大地震。

テレビを点けた瞬間に僕は凍りついたように息することも忘れたようだった。

生田神社の鳥居が倒れ、三宮駅周辺も壊滅状態。

なによりショックだったのは阪神高速が横倒しになっていた映像だった。

すぐに彼に連絡をとろうとしたが、電話は当然のように通じない。

阪神間には知り合いも多い、彼らに連絡をとろうとも考えたがかえって迷惑になると思って電話はしなかった。

 

それから約22年彼とは連絡はとれていない。

地震後落ち着いてから長田区、須磨区、尼崎と訪ねて歩いたが、

被害が一番大きかった長田区では彼の実家はすでに無くなっていた。

 

彼の元々の実家は西宮だ。

築60年ぐらいは経過しているだろうと思うほど古びた家に住んでいた。

しかしバブルのおかげでこの家が億で売れた。

その資金でご両親は長田に新居を建てた。

バブルが無ければ今も西宮に住んでいただろうと思うと運命という言葉に苛立ちを覚える。

僕はと言えば田舎暮らしを実行したおかげで命拾いをしている。

田舎暮らしには失敗したけれど震災にはあわなくてすんだ。

 

人間万事塞翁が馬

昔の人は上手く表現したものだ。

現時点での幸福は将来災いになるかも知れないし、現時点での不幸は未来の幸福の為の布石かもしれない。

それは長い年月を経て理解ること。

 

叶わぬ望みかもしれないけど

もしも何処かで生きていてこの記事を読んでくれたなら連絡が欲しいと思っています。